6492 Words

自分語りが流行ってたので、便乗して自分語り。
ふわっと気晴らしだったり時間が空いた時とか、息抜きに徐々に追記していく予定です。
なんか、気になるところとか深掘りしてほしいところとかあったらTwitterで教えてくれたらその辺りを中心に書いたり書かなかったりします。

出生〜幼稚園

19XX年、片田舎にて産声を上げました。親は、専業主婦の母親と、サラリーマンの父です。
田舎のどこにでもありそうな、決して裕福ではない家庭です。黒ココアさんの中に残っている最古の記憶は、母が2歳前後の黒ココアさんを腕に抱き、父と大喧嘩してるシーンです…。後々母に聞けば、父が不倫していたとかどうとか。どうしようもない家系だなぁ…。
2番目に古い記憶は幼稚園時代です。ビニール袋に水を張り、青い水性ペンを沈めて「凄い…水が青くなってる!ロリココアさんは水に色が着けられる!青い水を作り出せるのだ…!」とかなんとか思ってました。よく分からない記憶です。勿論その後幼稚園の先生にしっかり怒られたらしいです。その辺はよく覚えていませんが…。もしここで褒められて、成功体験として残っていたなら、白衣で試験管を振るような研究職の、ケミカル系黒ココアさんも存在したかもしれません。
母親には、「人見知りはせず、知らない人に抱っこされてもグズったりしない子だった」と言われます。が、「自己主張等も特に無いおとなしい子だった」とも…。 この辺りからすでに陰の者としての才能の片鱗が見えます。

小学生編

あまり良い記憶はありません…仲の良いお友達が2年生の時に1人、3年生の時に1人転校していった、くらい…?
泳ぐのが苦手だったので、水泳の授業は休みがち。未も25m泳げる気はしません。学校のプール の、短辺?短い方をまっすぐが限界です。今はそれすら泳げるかわかりません。
もう何年も水着なんぞ着てませんが、今は短辺すら泳げるのか怪しい…。
水泳を筆頭に、嫌いなことは徹底的に嫌いな子でした。「くろここあさんがやらなくても、得意な誰かがやったほうが良い。得意な人がいないなら、好きな人がやったらいいですよ。くろここあさんは、泳ぐために生まれてきたわけじゃないんです」などという屁理屈を振りかざしてました。

小学4年生の時に、叔母がインドネシアに住んでいたため、2週間程お邪魔するという旅行に行ったりもしました。
プール付きのお家で、メイドさんとお抱え運転手が居たりと、現地の人から見ると「裕福な外国人の子供」という感じだったと思います。先述の通り泳げないからプールは使わないですし、メイドさんもお抱え運転手さんも日本語話せないのでふわっとお辞儀したくらい。「黒人さんだぁ…」とか思ってました。
そんな小学4年生のくろここあさんを、お買い物や観光に連れて行ってくれた叔母さん。英語とインドネシア語を使いこなす叔母に対し、くろここあさんは「かっこいい…こういうすごいひとにわたしはなりたい…」などぼんやりと思ってました。実際の黒ココアさんは未だに英語はよくわからず…英語どころか日本語すら怪しいものです。言葉ムツカシイネ…。

競プロ文脈としての半生を反省なので、中学受験に纏わる何かしらとか書けばいいんですけど、実際くろここあさんの学年で中学受験を行ったのは、男の子が1人でした。
ふわっと話を聞いて、「はー…勉強好きなんだなぁ…変なの。」くらいでサラッと流してました。

今の所競プロの根源的なところとか、役に立つこととか何も出てきてないですね…。

あとはまぁ…面白い系の話題でネタ出しすると、そんなインドネシアに住む叔母が、インドネシアで売ってる日本産のゲームをやたら大量に買ってくれた、とかですかね…。海賊版…いわゆるアジアの違法コピーです。
ものによっては英語だったり、日本語でできたり。初代プレイステーションで色々遊ばせて頂きました。 ~~ざっと調べたんですが、著作権侵害は20年時効らしいので、まぁ、余裕で時効かと思われます…。~~今はちゃんとコンテンツにお金を落として推しの財布を潤す生活をしてますので…!許してください…!
日本に帰って来てからは、スーパーロボット大戦αとかFF9とか、1人でできるゲームを延々1人でやってました。元ネタも大してわからないのに…!
その辺りで最低限のロボット知識とかが身についた感じです。
ビルバインに集中かけて突っ込ませてツインバスターライフルで殲滅したり、一生射程外から撃ったりと、自分だけが一方的に攻撃するのが好きな根暗な子でした… まぁそんなゲームばかりやってたおかげで、お友達と話も合わず。数人で教室の隅でお喋りしたり本読んだりしてるような、陰の者としてのスキルをメキメキと伸ばしていく小学生でした。

中学生編

地元の小学校から地元の中学へ何事もなく進学。
周りが流行りのバンドとかアイドルとか言って色気づいていく中、黒ここあさんはひっそりと手に入れてしまうのです。

自分用パソコンを。

勿論型落ちの古いノートPCです。
当時…win95?98?ME?その辺りで…少なくとも、XPではなかった記憶…。
当時は使い放題のネット回線もなく、ネット回線がなくてもPCがPCじゃないとできない仕事を持っていた時代だったので、CDをレンタル→家で吸い出す→CDを返却、みたいな、グレーラインの怪しいことしたりしてました…。
母親の音楽趣味が偏っていたのもあり、この頃は洋楽を聴き漁って「GLAYとかラルクとかでキャーキャー言ってる周りとは違う黒ここあさん格好いい…」なぞ思いながら、フランツ・フェルディナンドとか聞いてました。
サイバーパンク2017のOPもめっちゃ良かったですね!フランツ・フェルディナンドの曲だ!!!って音で一発でわかりました…たまらない…! あとは、クーラシェイカーとか…ダフトパンクとか…邦楽だと、火がつく前の、FLAME VEIN,THE LIVING DEAD辺りのバンプオブチキンとか…。
バンプオブチキンに関しては、天体観測とハルジオンでうわっと流行って、「あぁ…みんな知っちゃったなぁ…」というどうしようもない逆張り精神で一気に手を離しました。藤くんは何も悪くないんですよ…!!!黒ここあさんのメンタルが終わっていただけで…!!! 椎名林檎女史にハマったのもこの頃でした。「うわー、こんな格好良い曲を聞いて格好良いって思ってる黒ここあさんめっちゃ大人なのでは…!?!?格好良いのでは…!?!?」と、背伸びしてコーヒー飲む子供みたいなメンタルでした。今も聞いてるので、この時椎名林檎女史の曲を格好良いと思った黒ここあさんの趣味は間違えてなかったと思います。音楽に対する姿勢が540度くらい間違えてますけど。
小学校時代から変わらず、教室の隅で集まって、陰の者同士で漫画やCDを貸し借りして小声で「でゅふふ…」と笑うタイプの見てられないオタクでした。

初めて異性とお付き合いをしたのはこの頃ですかね…!!!中学2年生ですかね!!!
このパートはやたら期待値高いようなので一応書くんですけど。まぁ、こう…そんな山も落ちも意味も無いので、ざっと読み飛ばしてくれて…。
期待値高く持っていたやつめさんとあぴ氏はちゃんと読むんですよ。

PCを手にしてたり、持ってる子は携帯電話(ガラケー)を持ってたりで、黒ここあさんを含む一部の子が自前のメールアドレスを所有してた時代なんですけど。
平日の夜9時位に、小学校も同じで、学校でもそこそこ話したりするような、そんな関係の子(以下Aとする)から「今起きてる?」みたいなメールが来まして。
黒ここあさん「起きてるよー、どしたの?」
A「いきなりだけど、好きなんです、付き合ってください」
みたいなやり取りを数往復して。

まぁ結論から言うとOKして、夜10時半くらいに家の近くの公園で待ち合わせしまして。母ココアさんには「ちょっとコンビニ行ってくる!」って伝えて。公園で会って、自販機で缶ジュース買って飲んで、少しだけお喋りして、「また明日学校でね」みたいなお別れ。
まぁ初めての恋人、っていうこともあって、ふわふわしてました。地に足が着いてない感じ。ちょろい。
その後は親に隠れて毎晩こっそり電話したりして…。その週末には、お相手のお家に遊びに行って、なんか、まぁ、まったりお喋りして…。お出かけして、カラオケに行って、2時間歌ったりして、夜7時には帰る、みたいな健全なお付き合いをしてたんです。

翌週の月曜日、
A「ごめん、やっぱり他の子が好きになった
とか唐突にメールで伝えられて。
まぁ、うん…「そっかぁ…まぁ、仕方ないよね…」というぬるま湯のようなよくわからない温度感でお別れしました。

あれ…ん…???
キスどころか手すら繋いでないね…???お、おん…???wtf!?!?!?!?!?
改めて思い返すととんでもない奴だなぁ…理不尽すぎる…子猫飼っても少し大きくなったら「なんか違うから」って手放すタイプでしょう…。

一旦初めての恋人話はここで終わります。
が、Aくんは今後も黒ココアさんの半生で何度か出てきます…2回?3回?くらい。
筆が乗ったら。

同じく中学2年生の頃、音楽の授業でアコースティックギターを触る機会が有りました。
初めて触る子は初めて触るので、当たり前のように弾けないんですけども。黒ここあさんの家には何故かギターがあったので、若干、気持ち、触りだけ、弾ける、みたいな状態でした。
Cと、Emと、Amは、ゆっくり抑えて最低限音がなる。Fは、綺麗な音は鳴らないけど、一応形は知ってる…みたいな、ギター2日目初心者、くらいの。
そんな黒ここあさんを見た、仲の良いクラスメート(以下Bとする)と、楽器できるのかという話に。
B氏は顔も広く陽の者とも陰の者とも仲良く、生徒会長をするような子だったんですが、どうやらバンドを組みたい模様。ちなみにA氏とB氏は2軒隣に住んでる幼馴染です。どうでもいいですけど!
黒ここあさん「あー…うん、まぁ…黒ここあさんにできるなら…」
B「よっしゃ!適当に人数集めて話し合いしよ!」
他誰も決まってないんかーい。見切り発車にも程がある…今考えると、こう…若気の至り感のある、「俺バンドしてるんだよ」って言って格好付けたい…そのためだけのバンド感がとても強いんですが、勿論中学生黒ここあさんも例にもれず「バンドしてるんだよ!」って言えるのは格好良いな!!!と思ったので、若干ソワソワしてました。ちょろい。

その後、昼休みに5人集まって、色々と会議。パート分けとか。どんな曲やるとか。 とりあえず全員なんの楽器ができるの?という話なんですが。

  • ギター弾ける人が2人
  • ベース弾きたい人が1人
  • 歌いたい人が1人
  • 特に何もできない黒ココアさんが1人 B「よっしゃ!黒ここあさんドラムな!」

wtf????? そんな一方的な押し付けに負けて、黒ここあさんはドラムを叩くことになりました。
その後月2回くらいみんなでスタジオに入ったりして、まぁ、青春っぽいことをしてました。
母ココアさんの知り合いにバンドマンなおじさまが居たので、紹介してもらって少しだけ教えてもらったりして。まぁほそぼそと練習してました。青春っぽくて楽しかったです。

ただまぁ遊んでいるばかりでいるわけにもいかず、高校受験が始まります。
そんなこんなで一旦バンド活動はお預け。塾に通ったり家庭教師だったりでみんなそれぞれ受験に向けた勉強を始めます。この時点で黒ここあさんの成績は、普通の中学校150人の中で30〜10番辺りをウロウロしてるような、決してできる子ではなかったです。
「適当に現状で行けそうなところを受験して、適当な公立高校に行けたらいいかなぁ。滑り止めの私立で、何かの間違いで特待生とかもらえて学費免除とかになったら、その時に残った手札の中で行きたいところ選ぼうかな。私立のブレザーかわいいしなぁ。」などと、真面目に不真面目な受験生でした。

そんな中、母ココアさんが情報収集をしてくれたのか、普通高校とは違う進学先の提案をしてくれました。
母ココアさん「高専って知ってる?」 黒ここあさん「んん、知らない。なにそれ?」 その頃は呪術廻戦なんてなかったので。黒ここあさんにはさっぱりです。 母ココアさん「なんか、国立?で、朝課外とか無いらしいよ。朝も9時からで、夕方4時までらしいよ。後、大学受験もいらないらしいよ」 黒ここあさん「えっなにそれすごい。黒ここあさんそこに行くわ」
黒ここあさんは割と大事な人生の選択を、深く考えずに都合の良いところだけ見てさくっと決めてしまいました。ちょろい。
そこからぼちぼち塾に行くようになったりして、学年10位前後が安定してきて。
滑り止めの私立高校をいくつか受けたらまぁ受かって。その後某高専を受験してみたらあっさり受かったりしました。
その時点で公立高校の受験は受けなくていいかな!もう勉強面倒だし!と思って黒ここあさんの学力ピークは終わりました。 はい!受験生編終わり!

高専生編

有名な話なのであまり掘り下げませんが、男女比がえげつないんですよね。高専。
黒ここあさんはまぁ色々と良い思いをさせて頂きました。
それに加えて、高専進学を雑に良い点だけで決めたため、授業内容にも余り興味を持てずにサボりまくってバンドしたり、バイトしたりして、結果3年時修了退学しました!この時点で黒ここあさんは、高卒と同等程度の資格を持った最終学歴中卒ですね!
はい高専生編終わり!

社会人編(前半)

黒ここあさんのいる地域は、時代の差かもしれませんが、当時は高卒就職、みたいなのもそんなに少数派ではありませんでした。まぁ最終学歴中卒なんですけどね!
その後、ジョブホッパーとして余り仕事は長続きせずにいろんな職を転々としてました。後はバイクの免許と車の免許を取ったりしました。

  • 社内SE兼通信制高校講師
  • 社内SE兼営業
  • 医療事務

社内SE兼営業の通勤時に、交通事故に遭いまして。脊椎が圧迫骨折したようです。ふへ。
めっちゃ痛かったです。3,4ヶ月程入院したり通院したりしました。一応今でも五体満足ですが、たまに背筋にピキッと冷たい痛みが走ることが有ります。後遺症ですかね!
まぁ交通事故の慰謝料に関して裁判とかなんとかで、お相手の方から4桁万円のまとまったお金を受け取ったので、「んー…専門学校にでも行こうかなぁ…最終学歴どうにかしないと、流石に中卒は…ねぇ…」などと考えて。専門学校に行きました。後この辺で髪を染めたりしました。派手髪黒ココアさんです。 はい社会人編(前半)終わり!

専門学校編

その頃写真が好きだったので、「カメラマンになりたい!」などという漠然とした憧れから写真の専門学校に行きました。この時点で黒ココアさん28歳くらい。同級生は10個下。 2年間で色々撮ったり撮られたりして。色々年下の子らにかまってもらいました!楽しかった!
自分で学費払って、自分の興味のあることを選んだので!あまり役には立ってませんが!楽しかった!
はい専門学校編終わり!

社会人編2

せっかく写真の専門学校を出たので。 卒業生のところのお手伝いをして撮影のアシスタントしたり。フリーで色々写真撮ったりしてました。何か、地元で割と大きな花火大会の写真を専門学校の時に撮ってたのがポスターに使われて駅に貼られたりしました。ふへ。

ただまぁ、そんなに稼げるわけではなかったので。またSEに逆戻り。

  • SES
  • データエンジニア

この辺の仕事をポツポツと転職したりこなしたりしました。
この頃に競技プログラミングなるものを知って、「ほへぇ…始めてみようかなぁ…」など思い、触り始めました!競プロer黒ココアさん爆誕。

大学編

競プロerになったり、データエンジニア・データサイエンティストっぽいお仕事タスクが増えたり、SQLのクエリをガリガリ書いたり、分析とかしたりするようなお仕事の流れで、 「あー…数学ちゃんと勉強しておけばなぁ…微分も積分も何もわからない…」みたいな状態だったので、大学で体系立てて再履修することを決意。通信制大学に通い始めました!

今ここ!終わり!!(雑)